Japanese / English

Past Exhibition

Printed Matters

Katsuro Yoshida

Seeing and being seen

2010.7.5 - 7.30

京都の街角で見出したもの

朝十時十分東京発の新幹線に乗って京都に行く。二度目の京都。去年来た時には真夏の暑い陽ざしが照りつけ、アスファルトからの照り返しが、ムッとするような暑さだった。しかし今日は、空はすっかり晴れあがっているのにものすごく寒い。半袖シャツで、汗をふきふき歩いていた道を、今は厚いコートに鼻水をすすりながら歩いている。前に来た時には西も東も、まったく見当がつかなかった。それもそのはず、前回の京都は修学旅行で、マイクロバスに乗り、お寺回りをした、と言うよりさせられたのだから。
 肩にカメラをさげ・市電のある通りをブラブラ歩いている時、交差点が見えてきた。四つの角のうちの、右手向こうの角には、うどん屋ののれんがはっきりと見える。その手前の角の家は民家らしい。また左手向こう側の角には、事務所風の建物があり、その向かいになる手前の角には家はなく、ひとかかえほどの石が見える。その石を見た時、そこがガソリンスタンドになっていることに気付いた。前に来た時、バスの中から見たガソリンスタンドのことを想い出していた。お寺や仏像など覚えているものもあるが、それがどこにある、なんというお寺かも覚えていないのに、その角の店ははっきりと覚えている。
 車が五、六台は楽々と入れるように、その角は空いていて、その奥に、二、三人入ったら身動きがとれないと思われるような小さな店がある。中には自動車のオイルやらタイヤやらがはみ出すように置かれている。その横手には車を洗うための自動洗車機があり、交差点の角には、ひとかかえほどの石が置かれている。そんな風景が頭のなかに一瞬のうちに組みたてられていた。現実には、その石を見ているだけなのに、頭は勝手に風景を組みたてていた。
 組みたてられたガソリンスタンドの風景が、現実にそこにあるかどうかを確かめたく、足は自然に早くなっていた。その店の前に立った時、組み立てられた風景とまったく同様な店がそこにあったのにはおどろいた。自動洗車機も、小さな店も、また店の中からはみ出すように置かれた自動車部品もあって、組みたてられた風景がそこに再現していた。
 石に近寄ってマジマジと見たが、その石は何の変哲もない、まったくあたりまえの、何処にでもころがっているような石だ。なのに、どうしてその石を見た瞬間に風景を組み立てることができたのだろうか。びっくりすると同様に、その石がとてもなつかしく感じられ、その石の写真を何枚かとった。  レンズを通して見る石は、もう何も感じないただの石に逆もどりしていた。

写真を現像してみたら

 先日写したフィルムの現像をやる。もう少し気候が暖かくなれば、現像液をあたためずにすむのに、まだ水温が十七度ぐらいだから、始めるまでがめんどうだ。でも始めてしまえばお茶を一杯のみ、たばこを二、三本吸う時間くらいなものだから、どうということもないのだが……。現像時間を九分半にしようか、十分にしようか迷い、結局十分間現像する。出来上ったフィルムの状態がいいので、始める前までの気分は、すっかり変わってごきげんになる。
 夜になり、焼きつけをする。ベタ焼きのないネガが五本ほどたまっていたので、まずベタ焼きを作り、そのうちの何枚かを、キャビネ判に焼いてみた。いつものことながら、一枚の写真にいろいろなものがうつっていることにおどろく。今日も、そのうちの一枚を見ていながら、やはり同様なおどろきがあった。その写真は、いつも通る道にある酒屋を反対側の歩道からとったものだ。この写真をとったのは、たしか四日前の晴れた暖かい日だった。ほとんど毎日のようにその前を通っていながら、一度も写そうとは思わなかったのに、その日はなぜかその店が、特別に思われてシャッターを切った。  ファインダーをのぞく前は、その店と両隣の店と、その店の前を通りすぎる車と、屋根の上にあるテレビのアンテナをぬりつぶすように広がる青い空とを見ているのに、ファインダーの中に見える店は、まったく別の風景に見える。ちょうど観光客風の男と女が、ファインダーの中の店の前を左から右へゆっくりと歩いて行く。一番右端まで来た時にシャターを押した。たしかその時の僕の目は、店とその二人とに焦点を合わせていたように思えるが、どちらかといえば、その二人の方に重点が置かれていたように思う。シャッターを切ったとたん、もうその店には、まったく関心はなくなっていた。  そして今また、写真になったその店を見ている。たしかにその写真の右端に男と女の二人連れがうつっている。しかし僕の見ていなかったものの方がたくさん写っている。店の前に置いてある自転車、その自転車の荷台にはビールのケースがあり、またその左隣には、荷物かごのついたオートバイがあり、左隅にはコカコーラの自動販売機が置いてある。右端の二人の後にはその店の裏に通じための路地があり、その路地には、酒を裏に運ぶために作られたと思われるトロッコ用の線路が敷かれてある。
 その二人連れにしても、右側にいる男の肩からはカメラがさがり、女の左手にはハンドバッグと脱いだ上着がかかっている。そしてその右手には巻かれたポスターのような紙を持っている。
 それらのことを僕は覚えていない。こうして見ていると、まったくそうだったように思えるのだが、もしかしたらそうでなかったかも知れない。  結局、僕は何を見ていたのだろうか、重そうな店の屋根と、軽そうな青い空と、観光客風な二人の人間と、たったそれだけだったのではないだろうか。そしてそれすらもごく大まかに。もしかすれば、それすらも見ていなかったのかも知れない。僕の見ていたのは、そこの空気のようなものだったような気がしてならない。そしてその空気を、僕は勝手に色づけしていたのではないだろうか。